2017年09月01日

2017年08月21日

2017年08月03日

思い出の野上鉄道

思い出の野上鉄道
廃止から20年になるんですね。  


Posted by blackcat at 22:31Comments(0)ローカル鉄道

2017年07月05日

思い出の野上鉄道


廃止から20年以上経過した、野上鉄道
今の子供たちは、かってここに鉄道が走っていたという事実も知らないまま過ごすことになるのでしょうね。  

Posted by blackcat at 23:30Comments(0)ローカル鉄道

2017年05月31日

思い出の野上鉄道

あの頃は、和歌山市の毛見に住んでいたのでバイクで追っかけしていました。苦笑
まぁ、あの頃は廃止になるとは夢にも思っていませんでした。
何となく、記録に残しておかなくちゃと思い始めて数年で廃止問題が立ち上がり、地元の反対も殆どないまま廃止されてしまいました。
その後、有田鉄道に目を向けたら・・・以下自粛しておきましょう。

思い出の野上鉄道
  


Posted by blackcat at 21:54Comments(0)

2017年05月27日

思い出の野上鉄道

思い出の野上鉄道

廃止から20年、若い人は電車が走っていたことすら知らない人もこれから増えていくでしょうね。  


Posted by blackcat at 17:22Comments(0)

2017年05月23日

2017年05月11日

2017年04月29日

思い出の野上鉄道

野上鉄道の始発駅はJR海南駅からも少し離れたところにある、日方駅という駅でした、日方駅から50mか100mほど走ったところに、連絡口という正式には駅ではない乗り換え設備があって、紀勢本線からの乗降客はそこから乗ることができましたね。
今となって箱の駅舎の写真も懐かしい思い出です。
  


Posted by blackcat at 21:33Comments(0)ローカル鉄道

2017年04月24日

思い出の野上鉄道

野上鉄道
連写機能もないカメラでしたが、多重露出機能を使って撮影してみました。笑  


Posted by blackcat at 20:54Comments(0)ローカル鉄道

2017年04月19日

思い出の野上鉄道 紀伊野上にて

1997年に廃止された野上鉄道、県からの助成金見直してあえなく消滅してしまった野上鉄道
世代間の技術伝承も上手くいっていなかったようで、水間電鉄から旧南海の1201系を導入したものの試運転で重すぎることで橋梁に負担がかかることが判り結局走らせることなく解体してしまうという失態を演じた他。
地元からも嫌われて、廃止問題が出たときにも地元からの反対運動も殆どありませんでした。
会社自体が解散してしまったため、大十(地元の運送会社)がバス事業を引き継ぐ形で残りましたね。

紀伊野上にて
  


Posted by blackcat at 22:16Comments(0)ローカル鉄道

2017年04月11日

モノクロームの世界

南海橋梁、老朽化問題が顕在化しており、何らかの措置が必要なのではないでしょうか。
モノクロームの世界をお楽しみください。

南海橋梁

南海橋梁2

  


Posted by blackcat at 19:04Comments(0)

2017年02月14日

紀ノ川の夕暮れ

紀ノ川の夕暮れ

紀ノ川河口にて
  


Posted by blackcat at 23:18Comments(0)

2017年01月30日

和歌山南港

30年近く前でしょうか、和歌山南港に停泊していたので撮影に行きました。
夕方だったのですが、雲が多くコンディションとしては最悪でしたが、ちょうど日が差し込んでくれたので少しアンダー気味で撮影してみました。

日本丸
  


Posted by blackcat at 07:39Comments(0)海辺

2017年01月02日

思い出の野上鉄道

皆さんは、海南市の日方~登山口を結んでいた、野上鉄道を覚えていますか。
元阪神電車や、明治チョコレート塗装となった車両とか・・・・そうした写真を不定期でアップさせていきます。



登山口にて


  


Posted by blackcat at 07:12Comments(0)ローカル鉄道

2016年12月04日

12月4日の記事

和歌山市毛見側から見たマリーナシティ連絡橋

マリーナシティ
  

Posted by blackcat at 13:43Comments(0)

2016年11月30日

マリーナシティの夕暮れ

毎日とはいきませんが、和歌山の魅力を綴る画像をアップさせていただきます。
以前は、毛見に住んでましたので休みの日はカメラを持って撮影にいそしんでいました。

マリーナシティの夕暮れ
  


Posted by blackcat at 22:47Comments(0)

2009年10月25日

貴志川線が和歌山電鉄になるまで 3

和歌山市議会が動き出すまでは、新会社の設立や会社の運営方法、資金集めの方法まで検討したWCANでしたが、和歌山市議会が動き実際に事業者を公募する段になった頃から、新会社の設立は下火になり、和歌山市の動きと実現に向けてのサポートが中心となりました。

WCANとしては、両備グループの経営参加を切望しており、和歌山市も非公式的には水面下で動いていたようでしたが、一応公募と言う形を取ったところ、複数の会社が名乗りをあげ、個人で応募された方もいましたが実現性の点で書類審査の段階で却下、最終的に地元の建設業者を中心に両備グループが名乗りをあげることになりました。(実際には和歌山市が非公式に両備グループに交渉していた節があり最終日に参加を決めている。)

なお、この件に関しては、有限会社トラベルプランニングオフイス、中尾一樹氏もその運営に名乗りをあげており私も一緒に食事をしたことがあるが、イベント列車の運行などどちらかと言うと鉄道マニア的発想が先行しており、地域の足としての鉄道確保と言う視点が大きくずれていることから実現する可能性は低いと思っていた。

また、地元の建設業者が名乗りをあげたことに対しては、市会議員等に鉄道を守るためには建設業者を今回は参加させるべきではないと言う個人的意見を述べたことがあるがそういった意味では多くの市会議員も当時は動いてくれたと思って感謝しています。

そういったなかで、貴志川線の事業を引き継ぐ会社選定公聴会が開かれるのですがこの点はまた後程お話をさせていただきます。

参考 wikipedia



  


Posted by blackcat at 15:46Comments(0)

2009年10月24日

貴志川線が和歌山電鉄になるまで 2

昨日は、「WCANで最悪の最悪の事態に備えてある計画が進行していたのです」が終わっていたと思います。

実は、和歌山市と貴志川町(当時)では存続に対する意気込みが微妙に異なっていました。

「貴志川線の未来を作る会」も会員は圧倒的に貴志川町の住民が多く、和歌山市川は少ないといった事情もありました。

そこで、WCANの部会としては、県会議員や国会議員も巻き込んで本腰を入れるとともに、特別目的会社を立ち上げることまで検討されたのです。
この話しは、マスコミには一切公表しませんでしたので知っているのは当時プロジェクトに酸化した一部の人間だけです。

特定の目的のためだけに会社を立ち上げ、その会社が上下分離方式で電車の運行を実施。
という考えで、資金を集める場合に出資をどこに募るのか、市民からも寄付を募るかなども真剣に討議されました。

そしてもう一つの課題は、事業者はできるだけ地元から募りたいと考えたのです。

地元の利益は地元に還元することで、地域の活性化に繋がると考えたのですが、これについては、残念ながら実現しませんでした。

そうした議論が白熱化していた頃、当時の市会議員有志が市議会を動かし、和歌山市も存続に向けて重い腰を上げたのは2005年になってからでした、そこで一気に和歌山市も存続に向けて前向きに検討を開始、両備他数社の鉄道会社に打診を始めたのでした。

この辺のお話しについては、また後程させていただきたいと思います。  


Posted by blackcat at 11:55Comments(0)

2009年10月24日

貴志川線が和歌山電鉄になるまで 1

現在、たま駅長で人気となった貴志川線ですが、南海時代は一ローカル線としての位置付で、50年代にはラッシュ時の3両編成が走ったこともありましたがその後は並行道路の整備などで輸送量は漸減、南海にお荷物路線となっていました。

元々は、山東軽便鉄道という私鉄を、和歌山軌道線とともに南海電鉄が買収したことから始まっていますので南海本線とは線路も繋がっておらず、いわゆる盲腸線と呼ばれる路線でした。

廃止の話しがでてからは、地域住民が廃止反対の名乗りをあげ、貴志川線の未来を"つくる"会が始動しました。

しかし、発足当初は運動と言っても政治家への陳情運動等に留まっていました。
そんな中、「貴志川線応援勝手連」が独自の活動として、駅舎ごとの問題点などを調べる活動を始めたことで、マスコミも注目していきました。

また、勝手連の独自の取り組みとして、貴志川線駅舎等の清掃などに取り組むこととなり、最初は冷静な目で対応していた「貴志川線の未来を"つくる"会」もその後積極的に清掃行事や駅ホームの緑化運動に合流していくこととなりました。

さらに、勝手連の活動はやがて、WCAN(和歌山市民アクティブネットワーク)の活動に合流することとなり、例会がWCAN事務局で開催されることとなったのです。

私も正式メンバーとして、この活動に参加。
辻本勝久・和歌山大学経済学部助教授を分科会会長として迎え、活発な議論が展開されました。

そのとき既に、出ていた方針として。
上下分離方式、三セクター方式は不可と言う方針が提言されていました。

また、辻本教授からは交通政策として鉄道が廃止された場合、自動車による交通量が増大してラッシュ時の大幅な渋滞が予想され環境面でも悪化をもたらす等の提言がなされました。

そういった活発な議論もあったおかげで、南海電鉄も廃止の方針に変更は無いものの、廃止時期を延長することで合意していきましたが、そのタイムリミットは確実に近づきつつありました。

そして、その時点ではWCANの方針として、上下分離方式、三セク以外の方式でいくこと、なおかつ鉄道事業者以外の参入は認めないと言った基本方針がまとまりつつあったのですが、肝心の事業者の選定については全く決まっていなかったのです。

いうのは、和歌山市は貴志川線の廃止には消極的賛成、貴志川町(当時)は廃止反対と、温度差にかなりの差がありました。

そんな中、WCANでは、最悪の事態に備えてある計画が進行していたのですが、これは別の機会にでも書かせていただきます。  


Posted by blackcat at 00:07Comments(0)ローカル鉄道