2019年01月19日

紀勢本線を走った夜行列車のお話 第2話

戦前から、阪和電鉄による乗り入れが行われていた南紀方面への乗り入れですが、南海電車も当然のことな伽藍熱心だったわけで、瀞峡ウォータージェット船で瀞峡を観光地として開発したのは南海でしたし、戦後もサハ4801と呼ばれる客車を製作して乗り入れさせていたことは前述のとおりです。

昭和29年の時刻表を参照する限りでは、夜行列車と言える列車は1本だけ、当時の時刻表では
昭和29年の時刻表では、天王寺22:00発【南海難波21:50発】の列車が東和歌山で連結して、新宮まで下っていま新宮着は5:54で108列車下り天王寺行きは、107列車として、新宮を22:00に出発天王寺6:00、南海難波5:55着になっています。】
紀勢本線を走った夜行列車のお話 第2話


夜行列車自体は、昭和25年から設定されていたようです、南紀観光は潜在的な需要が多かったと見えて、昭和31年の改正では、夜行列車が2本になります。

当時の時刻表を辿っていきますと、昭和31年11月の改正と書かれています。
手元にある昭和31年11月改正の時刻表を参照しますと、下記の通り、122列車、124列車の2本が設定されており、122列車が従来からの南海からの直通列車を受ける列車で、南海難波発21:50、天王寺発22:00も変わりません、新宮着が5:30と少しだけ早くなっており、新たに設定された124列車は、天王寺22:35と続行する形で、5:54に新宮に到着するダイヤになっています。
この両列車を比較すると、122列車が各駅停車タイプであるのに対して、124列車は快速列車のように主要駅に停車するタイプとなっています。
122列車が、紀三井寺、海南、箕島、藤並、湯浅、御坊というように主要駅しか掲載されていませんが概ね各駅に停車するのに対して、124列車は、東和歌山【現在の和歌山駅】をでると御坊まで停車せず、その次は紀伊田辺という風に昔の特急列車並みの停車駅でした。
もっとも、現在の「くろしお」が当時の急行や準急並みの停車駅の方が問題なんですけどね。苦笑
s31



続く


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Posted by blackcat at 09:59│Comments(0)紀勢本線今昔
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