2009年10月09日

和歌山電鉄

和歌山電鉄のたま駅長は出世して?スーパー駅長なる称号をもらったそうですが。

元々南海電鉄貴志川線だった頃には、誰にも振り向かれること無くゲージの中で気ままに暮らしていたんですけどね。

当時の写真を探してみようと思うのですが、中々見つかりません。泣

実は、私和歌山電鉄とは縁浅からぬ関係なんですと言っても怪しい関係ではありませんよ。

南海電鉄貴志川線が廃止になると聞いたとき、存続運動に参加していたのです。
もちろん、単なる圧力団体とかではなくて、きちんと提案してもしくは行政と折衝してと言ったことも行いました。

こんな記事が載っていました。本名で出ていますが・・・ネットって怖いですね。
永久に名前が残りますよ。苦笑


ということで、貴志川線存続のために当時のこぼれ話などを何度かに分けて少しづつしていきたいと思います。

南海貴志川線が廃止を表明したときは、ついに来たかと言うのが偽らざる心境でした。
紀州鉄道は、会社の看板なので廃止になることは無いとしても、かって和歌山にあった私鉄で、野上鉄道は94年に廃止になり、有田鉄道も鉄道事業を撤退、残る貴志川線が頼りでした。
まぁ、南海電鉄がバックにあるから大丈夫だろうと思っていたらまさかの経営撤退宣言

焦りましたね、和歌山港線の場合は途中駅廃止はある程度止むを得ないと思いましたし実際に利用客は殆どいなかったのでさほど大きな反対運動もなく収まったのですが、貴志川線の場合は並行する道路が整備されつつあるとはいえ、所々で狭い道が残る他通勤時間帯には混雑が激しく定時輸送ができる状況ではありませんでした。

当然、貴志川線を守る会や、その他色々な団体が立ち上がり、私は「南海貴志川線応援勝手連」に参加しました。

南海貴志川線応援勝手連

私は、2004年5月頃から参加したのですが、その後は積極的に会議にも参加し、色々なsh問題について話し合っていったのですがその辺は後ほど。




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