2009年10月24日

貴志川線が和歌山電鉄になるまで 2

昨日は、「WCANで最悪の最悪の事態に備えてある計画が進行していたのです」が終わっていたと思います。

実は、和歌山市と貴志川町(当時)では存続に対する意気込みが微妙に異なっていました。

「貴志川線の未来を作る会」も会員は圧倒的に貴志川町の住民が多く、和歌山市川は少ないといった事情もありました。

そこで、WCANの部会としては、県会議員や国会議員も巻き込んで本腰を入れるとともに、特別目的会社を立ち上げることまで検討されたのです。
この話しは、マスコミには一切公表しませんでしたので知っているのは当時プロジェクトに酸化した一部の人間だけです。

特定の目的のためだけに会社を立ち上げ、その会社が上下分離方式で電車の運行を実施。
という考えで、資金を集める場合に出資をどこに募るのか、市民からも寄付を募るかなども真剣に討議されました。

そしてもう一つの課題は、事業者はできるだけ地元から募りたいと考えたのです。

地元の利益は地元に還元することで、地域の活性化に繋がると考えたのですが、これについては、残念ながら実現しませんでした。

そうした議論が白熱化していた頃、当時の市会議員有志が市議会を動かし、和歌山市も存続に向けて重い腰を上げたのは2005年になってからでした、そこで一気に和歌山市も存続に向けて前向きに検討を開始、両備他数社の鉄道会社に打診を始めたのでした。

この辺のお話しについては、また後程させていただきたいと思います。



同じカテゴリー(社会運動)の記事
 貴志川線が和歌山電鉄になるまで 1 (2009-10-24 00:07)

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。